おじいちゃんのトマト【文部省選定】
「おじいちゃんのトマト」の概要
- 作品名
- おじいちゃんのトマト 【文部省選定作品】
児童向け人権啓発アニメーション(39分)平成8年度 - 企画
- 北九州市・北九州市教育委員会
- 制作
- 株式会社アクシス
- 配給
- 東映株式会社 教育映像部
- 販売価格(消費税別)
- DVD/VHSビデオ 80,000円(学校価格45,000円)
視点
- 高齢者問題
- 生きがい・自己表現
- 命の尊厳
- いじめ・不登校
- 家族のきずな
- 外国人差別
だれも「私には、あなたは要らない」と言えない
「おじいちゃんが死んだら、おじいちゃんの部屋は私の部屋になるの。おじいちゃん、いつ死ぬの。」と孫にたずねられたら、本人はショックを受けるでしょう。
皆、だれも悪い人ではないのに、なぜ人を差別し、人の心を傷つけるのでしょうか。どうしてそれに気付かないのでしょうか。後になって「そんなつもりで言ったのではない。」と弁解しても、差別されて傷ついた心も壊れた信頼関係もなかなか修復できないものです。
人を傷つけることが人権を無視し、人間の尊厳をおとしめることになるのです。
自分には、善意や良識があると思っていても、無知のために、知らずに差別をしていることがあります。
差別している自分に気付いたら、それを改める謙虚な柔軟性を忘れないこと。そうして、新しい人権尊重の関係を作り出していくことが、「共に生きていく」ために必要なことだと思います。
人は、存在していることに意味があります。一見、役にたっていないようでも、「いま、ここに生きている」ことが大切な役割を果たしているのです。
自分を粗末にすることは自分を差別することです。
自分を大切にすることは自分の人権を大切にすることです。
自分を大切にするとき、自己実現を図りたいと思い、社会の一員として意味のある生活をしたいと願うものです。
だから、お互いの自立と自尊の心を大切にする必要があります。
制作のねらい
私たちは、生きていくうえで様々な人との関わりをもちながら暮らしています。そして、人は、それぞれに外見も違えば、性格や考え方、価値観も違っています。頭の中では「違っていてあたりまえ」ということは分かっていても、つい自分の考え方や価値観を押しつけたり、違っている人を排除しようとしたりして、相手を傷つけてしまうことがあります。
このアニメでは、一人の少年のまわりで起こる様々な人権問題をめぐって、少年やその家族、そして周囲の人たちが悩み苦しんでいきます。けれども、体の不自由な祖父の生きることへの情熱や考え方に触れ、命の尊さや相手の気持ちを思いやる優しさに気づきはじめます。
この物語を通して、高齢者問題や外見の違いから生じるいじめや差別、不登校、命の尊厳などの問題をなげかけます。
人は、一人ひとり違っていることを認識したうえで、相手の気持ちを思いやり、共に悩み、考え、生きることを喜び合える、そんな「共に生きる」ことの大切さについて考えていただきたいと思います。
あらすじ
貴志の祖父善平は、以前は勤めをしながら農業を営んでいた。定年退職後は、大半の畑を人に貸し、わずかな畑でトマトづくりに精を出していた。
夏のある日、畑で倒れてしまい、一命は取り留めたものの軽い言語障害と右半身麻痺の後遺症が残ってしまう。妻に先立たれ独り暮らしだった善平は、貴志の父耕二の家にひきとられ介護を受けるようになる。
これが貴志の家庭に波風をたてていく。周囲の人に頼らず自分一人で介護しなければと苦しむ母。仕事が忙しいために介護を妻にまかせてしまう父。寝たきりの祖父を嫌う妹。いつしか気持ちがばらばらになっていく家族の姿に貴志の気持ちは次第に暗くなっていく。
学校では、母がフィリピン人ということだけでいじめられる転校生の英雄。その英雄をかばったために自分までいじめられるようになる貴志。
そんな中、家族のことで気持ちが沈んでいた貴志は、仲の良い英雄のある言葉に反発し、英雄の心まで傷つけてしまい、なにもかもが嫌になり不登校になってしまう。
そんなある日、トマトを嵐から守ろうとする祖父の熱意にうたれた貴志の家族は、お互いを思いやる気持ちを取り戻す。また、貴志も不条理に立ち向かう勇気を取り戻す。
そして、いじめや不登校の問題などを学校と家庭で協力して考えようと先生が提案した保護者参観の学級活動で、貴志は自分の家族の話をし、「相手の気持ちを思いやる心」の大切さを堂々と訴える。クラスメイトや保護者もそんな貴志のまっすぐな心に共感する。
こうして、祖父のトマトづくりに向けるひたむきな姿が家族だけでなく周囲の人たちの心まで変えていった。